親子の雑日

お盆に両親がうちへ訪れた。
新居に初めての来訪。
長野駅まで迎えに行ったとき
思った以上にドキドキワクワクしている自分に気付いた。
会えてうれしい
来てくれてありがとう
そんな気持ちが溢れてくる幸せを実感した。
父さんは特に
出会いや別れのハグなど我関せずと足早に通り過ぎる人だから
目に涙をにじませつつもね。
その分わたしは体全部で表現するよ。

わたしは生粋の町っ子で
商店街の裏通りのマンション育ち
海も山も見えないアスファルトの上を走り回って
デパートのエスカレーターで鬼ごっこしていた。
おばあちゃんちは商店街の中の産婦人科医院で
小さい頃は毎日のように産声を聞きながら
ときどき分娩室のドアをこっそり開けてのぞいては
タイルの床を浸す血の色にドッキリしていた。
手術室のある廊下の奥の暗がりは
さすがに怖くて近寄れなかったっけ。
家での父さんはいつも寝そべってテレビを観ていたけれど
電話があるとどんな夜でも寒さの中でもムックリ起きて家を出て行く。
今でも寝付きが悪いのは長年の習慣がそうさせているんだろうと思う。
わたしはその跡を継がなかったから
せめて心を込めて父の強ばった肩を揉みほぐす。
父がぽろりとじゅんこは医者になればよかったのにとこぼす。
心意気だけは受け継いでいますよと黙って心で返事をする。
とはいえ父とはいつも口論をしかかる。
わたしは父の保守的なところが気に食わない。
父はわたしのぶっ飛んだ発想に眉をしかめる。
もう少し年若い頃にはその壁を壊そうと躍起になって論争を繰り広げた。
わたしは父に何を認めさせようとしていたのだろう。

その答えのエッセンスが今の暮らしに息づいている。
愛する人と勝ち負けを分つことの虚しさに気が付いてから
少しずつわたしなりに作り続けてきた答えの息づく暮らし。
それはわたしの生き方の道しるべとなり今でも終わることはない。
こうしてにこやかに和やかに夕べを囲みながら
同じよろこびを分かち合いながら
いまだ交わることのないわたしと父の一線。
人と人とはそれでいいのだと思う今日このごろ。
思想を認め合うことなくして
行動のすべてを許し合える
幸せを優先する関係。
その時ときどき距離をはかりながら
そんな関係を作って生きたいと思う今日このごろ。
そして
お母さんというのは何故もあんなに愛に満ちているのだろう。
子を産むってそういうことなのかなと思う今日このごろ。



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by medine | 2015-08-16 20:54 | 暮らしごと~life works

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