某国の人相研究所により、顔を構成する目・鼻・口等のパーツはそれぞれに自動性を持っているという事実が明らかにされた。

とある学会の会報誌でその記事を見つけたわたしは非常に興奮した。
それはそうだろう。まさか知らない間に自分の目や鼻や口が顔じゅうを自由に歩き回っているとは、それどころか、鏡や写真で見ている自分の顔が「いつもおなじ」顔ではないなんて、常識をひっくり返し価値観さえ一変しかねない事実だ。
そうは言っても、目鼻口だって完全に自立しているわけではなく、当人の顔から離れては生きて行けない。また、それぞれに居心地のいい場所というのがあるらしく、あまりダイナミックな移動はそうはしないという。

研究所による多くの被験者を対象とした研究例の中でも、鼻が一晩をかけてゆっくりと顔を一周して元の位置へ帰ったというイギリス人男性の例が、最も長い移動として報告されている。
つまり彼等は比較的ゆっくりとした地味な移動しかしないので、今までこの重大な事実に気がつかれることはなかった、主任研究者のA博士はそう言っている。
また、博士はこうも言っている。
「実験に関しては細心の注意、それはまるで注意していないほどの細心さが必要とされた。目や鼻や口は「注目されている」時には微動だにしないし、大きく動くのはまっ暗闇の中だけだった。また、研究班の中に疑り深い者が紛れていると、彼等はいつもの位置に張り付いたままただピクピクピクと体を引きつらせた。彼等はそれだけ敏感かつ慎重であった。」
口からでまかせをと罵る他の研究者に博士は言った。
「そういう君の口がひどくねじくれていることに君自身は気づいているのかな?」

顔の「表情」はまさに目鼻口の動きがつくっている。
わたしたちは「楽しいから笑う」だけでなく「笑うから楽しい」のだ、ということは最近ではもう広く知られているが、自分自身でさえ気がつかないうちに繊細な笑いや怒りや蔑みなどに敏感に反応した目鼻口が表情をつくっているとなると、これはもうお手上げだ。

「自分の顔をよくみるように」と博士は言う。
博士もまた、研究を始めるまでは自分の目鼻口が生きて動いているなんて思いもしなかった。だからそんな光景を目の当たりにした時はまさに目が飛び出る思いがして、あわててこぼれないように手で押さえたらしい。
そのうちに、今までの自分の「生きもの」という概念を超えたところで着実に生きているその個々の物体に対し、子を愛しむような気持ちが芽生えてきたと言う。そうして自分の目鼻口にも今までとはちがう気の配り方をするようになった。すると不思議なことに、他人の目鼻口とも自然な意思疎通がはかれるようになり、実験の成果も上がっていった。
「わたしは目鼻口と友達になったのです。」
記事は、そう言って自分の顔のまん中にある大きな鼻をこすった博士の写真でしめられていた。

かの団体からは即座に「勲章をおくる」という電報があったにも関わらず博士はそれを辞退し、この研究成果を鼻にかけることなく次の研究にいそしんでいる。なお、博士は目下、日本に伝わる「のっぺらぼう」について研究を進めているとのことだ。

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by medine | 2014-08-11 21:24 | えのこと~graffitti

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