出産しました
2016年 04月 29日
2016年 03月 06日
出産のため地元・水戸に帰って来ています。
うちの実家は祖父祖母の時代に開業した産婦人科医院をやっていて、わたしの生まれる丁度半年前にじいさんが急死しましたが、その頃は全盛期の勢いを残したまま沢山の看護婦さんやその他スタッフが住み込みで暮らすという、今思えばほとんど女所帯の大奥のような環境の中、わたしはみんなに可愛がられて育ったことを覚えています。反面、幼いながらに女が集まるおそろしさも実感していたことは、自分の人格形成に大きな影響を与えていると思います。
さて、その後家業は祖母から父へと引き継がれましたが、わたしも姉も産婦人科医という職には就かず、父も数年前に分娩の主治医からは手を引き、2011年の震災の影響で建物が大きなダメージを受け、祖母も様々な理由から別所に引っ越し、何とはなしに寂寥感漂う実家でしたが、今回わたしは念願の子供を身籠って、この土地で産み落としたいと、何の異存もなく思いつきました。それは本当にスムーズな思いつきで、そこには一抹の不安もありませんでした。
しかし、父ももうすでに分娩からは手を引いていると言うこともあり、わたしが助産師さんの介助を受けての自宅での自然分娩について話すと、両親からは当然のような反対を受けました。もとより、父とわたしは似たもの同士でありながら、異なる時代環境を生きている反動で、医療に対する考え方は全くと言うほど異なり、議論になれば常に意見が一致することはありません。わたしも父も議論上の対立は望んでいません。だからわたしは小さいことから実践していくことで言いたいことが形になるのを見せていこうと思っています。
病院での出産か、自宅での自然分娩か、この選択はひとつのパターンに過ぎません。どっちが最善か、というより、結局は自分自身がどちらを望むかということだと思っています。選択において、他にどう影響するかという要素は、純粋な決断をさまたげます。それは様々な選択に置いて言えることです。公平に見て、どちらにもリスクはあり、どちらにもメリットはあるでしょう。そのどちらを選択するかは、個人の生き方を反映します。そして場合によって個人の選択が叶わないことも、それは大きな意味での自然なことだと受け入れます。
わたしは、からだに備わった生来の力を信じて、できるだけそれを損なわず引き出しながら、生きていきたい。それは、見方によっては我がままと受け取られるかもしれない。その分、どんなときでも小さな幸せをしっかり受け止めて、満たされた波動が少しづつでも周りに伝わっていったら、わたしも周りも幸せになると思っています。これは、簡単に言えば、いろんなことがありつつも、笑って生きていこうという決心です。
生きていく上で、他人と関わるということ、そして自分自身が生きるということ、これは同時に起こっていながら時として逆行するように思えることがあります。わたしが動かせるのはわたしの世界だけ、そしてそれは確実に周りに影響しています。何を大切にするか、そのさじ加減は自分しだいです。たとえ、自分の取った行動が周りの多くのものに反対されるものであっても、そこにはいいも悪いも好きも嫌いも、自分のすべてが溶け込んでいます。時に自己嫌悪に陥ったり、自分自身がわからなくなったり、そんな時こそ、ここまで生きて来た、生かされて来た、ただそのことを確かに、胸を張らなくてもいい、立派なことをしたり人の役に立つ必要もなく、ただ生きるということを改めて続けていく時なのだと思います。自信のない自分のまま生きること、それが明日の自信につながるのだと思います。
因果応報と言う言葉と、夢は必ず叶うと言う言葉は、とらえ方がちがうだけで、同じことを言っているのでしょう。
もう一度言いますが、わたしは、我がままと受け取られても、いろんなことがありつつも、単純に笑って幸せに生きていきます。これはもうすぐ生まれてくる子供に対しても言い切りたいことです。
おかげさまで、逆子も直り、多少体重増加が目立つ傾向にはありますが、いたって順調な日々を過ごしつつ臨月に入りました。
愛するみなさまの健康と平和を祈って。今日はここまで。
2016年 01月 16日
2015年 12月 27日
2015年 10月 14日
ファン申請 |
||