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ミーコおばさんの話

ミーコおばさんは母の従妹で、わたしが小さい頃から親戚の集まる場では、特にその場に居ない時程話題に事欠かない人だった。それはつまりお騒がせ者ということで、遠い縁の神経が細そうな叔母さまや叔父さまからは煙たい顔をして見られているのが幼いわたしの目にも明らかだったが、ミーコおばさん自身は気にしているのかしていないのか、素知らぬ顔で新年の集まりにもかの叔母さま方からは「小汚い」と評される飾らない格好で現れるような人だ。3つ歳の離れたうちの母とは昔から、ミーコ、おねえちゃん、と呼び合う親しさで、父と母とわたしの3人にミーコおばさんが加わった家族の写真がいくつもある。母方の家系は親戚同士の行き来が盛んだったため、年に数回の集まりの後ではミーコおばさんの奇行に面食らった親戚から母へ問い合わせの電話が舞い込むことはしょっちゅうで、その度に母は「あの子、あの子」と我が子のようにミーコおばさんの肩を持つので、それを聞いて育ったわたしにとってミーコおばさんは「たまにしか会わない破天荒でちょっと厄介なうちの長女」のような存在だった。20以上歳の離れたわたしからもそんな風に思われ続けて、果たしてミーコおばさんはどのように感じていたのか、答えは聞けない。ミーコおばさんは目下行方不明だ。

これまでにも数年行方知れずになって忘れた頃に姿を現すようなことは何度かあったようで、母もその他の親戚もさほど気にしてはいないが、ミーコおばさんのいない新年会はロウソクの立っていないバースデーケーキのようだ、とわたしは思う。それどころか、歳の離れた妹分に何の相談もなく居なくなるなんて非道い、と思って涙ぐみそうになる。こっちだって一緒に居た時には、恋愛や将来についてなど当然思い悩むことを何も相談はしなかったけど。だって、悩み相談というのはミーコおばさんにとって最も相応しくない話題のように思えた。いつだって人を悩ませてばかりで、自分ときたら悩みのひと曇りもなさそうな顔をしてはしゃいでいたから。中学生のわたしにはまだそんなことはわからなかった。悩みのない人なんて一人もいないってこと。

ミーコおばさんが姿を見せなくなり、2年目の春にわたしは高校に入学した。父と母の母校である地元では名高い進学校に、合格ラインスレスレで入ったわたしは、夏になる前に早速勉強についていけなくなった。特に数学は算数とのレベルの違いに唖然として、宿題で出されたワークドリルは開く気にもなれなかった。ミーコおばさんなら、こんなのやらなくていいよと言いそうだな、と思いながら宿題をサボった。驚きだったのが、宿題をサボる生徒が同じクラスに皆無だったことで(ホントかよ)サボりつづけたら見事にクラスからは浮き上がってきた。母から「ミーコはきっと外国に居る」と聞いて、英語の授業は真面目に受けようと努めてみたが、教科書を開くと眠くなる癖がついてしまった。授業も時々サボるようになって、昼ご飯はひとりでベランダに出て食べるようになった。親しい友達の居ない学校生活は、やっぱりロウソクの立っていないバースデーケーキのようだ。「何言ってんの、ケーキがあるだけマシでしょうが」ミーコおばさんならそう言うだろうなと思ってまたさみしくなった。

通学途中のコンビニでバイトをするようになって、別の学校の友達が出来始めた。お客さんで来ていた男子校の生徒に告白されて、初めての彼氏も出来た。英語の授業も、ヒアリングから成績が伸び始めた。そうなってくると現金なもので、ミーコおばさんのこともあまり思い出さなくなった。そして、また改めて将来のことを考え出した17歳の夏、すっかり忘れていたミーコおばさんからわたし宛に大きな小包が届いた。消印はイタリア・フィレンツェ、わたしの肩までの高さがあるおよそ正方形の板状の小包だった。
開けてみると、そこには色々な濃度の青で埋め尽くされたキャンバスがあった。群青色をメインに、波とも雲とも見える青のグラデーションが描かれている。他に手紙などは何も添えられていない。母はまた「あの子ったら」と半ば嬉しそうに嘆いたが、わたしは画面から伝わってくる「いつものミーコおばさんでない感じ」に何故だか胸がきゅうっと締め付けられて、慌ててその絵を元の通りに包み直した。その日の夜遅く、暑さだけではない寝苦しさに見舞われて、わたしはそおっと包みを開けて再びその絵に見入った。
ミーコおばさんはどうしてわたしにこの絵を送ってきたんだろう。その答えはもうそうすることしかないと悟ったわたしは、眠れぬまま朝を迎え、そのまま母に「イタリアへ行きたい」と告げた。丁度夏休みに入ったところだったし、バイト代も旅費の足しになる位は貯まっていたので難なく了解を得た。母は自分も行きたいが父を置いては行けないと言い、ミーコおばさんと何とか連絡を取り次いでくれて、次の週にはわたしのイタリア行きが決定した。初めての夏休みを一緒に過ごせなくなって少し不満げだった彼の表情は見逃すことにした。いつしかこの3年間、ミーコおばさんならどうするかがわたしの決定条件になっていた。

初めての海外旅行、それも一人旅にわたしは緊張の色を隠しきれていなかっただろう。空港でミーコおばさんの姿を見つけた時には予期せず涙が溢れそうになった。そんなわたしに駆け寄って抱きしめて、ミーコおばさんはとてつもないことを言ってのけた。
「あなたはわたしの子供なのよ」
このシチュエーションにそのセリフ。わたしは衝撃の事実を愕然と受け止め、その数秒後に「ウッソ〜ン」とおどけたミーコおばさんの胸ぐらを掴んで、今度こそ思い切り涙が溢れて溢れて止まらなくなった。バカじゃないのかこの人は、もう帰ろうかと本気で思った。自分が何故ここまで足を運んだのか、そんなこともすっかりぶっ飛んでしまった。これもこの人の策略のひとつなのか。驚きと怒りで見知らぬ土地に来た緊張からは見事に解き放たれて、わたしはミーコおばさんと手をつなぎ、我が物顔で石畳の街を歩いた。ピスタチオのジェラートを舐め、トリッパという牛の胃のトマト煮込みが入ったサンドウィッチを頬張った。ミケランジェロ広場の人ごみに紛れて、夕陽がくすんだ煉瓦色の街を鮮やかに染め直すのに歓声を上げた。ミーコおばさんもまるでわたしと同じ観光客のようにはしゃいでいた。

暗くなる前に、と案内されたミーコおばさんの家は丘の上に立つ塔のような建物で、正面には玄関と高い位置に星形の窓があった。外国にしてもなんか可笑しな建物だなと思っていたら、玄関の扉が開いて、何やら嬉しそうに叫びながら禿頭のおじいさんが走り出てきた。おじいさんはわたしの前に立つとうやうやしく手を取ってそこにキスをした。キスというか、それは舐めると言っていい程に熱烈で思わず手を退けると、今度は抱きしめられて額にぶっちゅとキスをされた。ミーコおばさんが止めに入らなければ顔中舐められかねない勢いで、イタリア人男性は女性が好きだと聞いていたがこういうことかと身を持って納得した、その脇で、おじいさんはミーコおばさんを抱きしめて今度は二人が熱烈なキッスと言葉の愛撫を交わしていた。初めての彼氏ともまだ唇が触れる位のキスしか経験のないわたしにとっては衝撃のシーンだったが、二人は臆することもなく肩を抱き合ったまま建物の中を案内した。
外壁は町並みと同じ土色の建物の中に入ると、天井は高く吹き抜けて、どこからともなく音楽が鳴り響いていた。内壁は鮮やかなエメラルドグリーンに統一され、紅色の絨毯や窓以外にもいたるところに見られる星形のモチーフがお城のような雰囲気を与える。ミーコおばさんはこんなところに住んでいるんだ。わたしが住む畳敷きの日本家屋とのギャップにまた衝撃を受けた。

衝撃はまだまだ続く。
いくつもある客室のひとつに案内されて腰を落ち着けるも、すぐに夕飯に呼ばれた。今夜はスペシャルディナーだという。大きなテーブルの一辺におじいさんとミーコおばさんが並び、いくつかある空席にわたしが腰を下ろすと、一人、また一人と女性が入ってきてにこやかに席に着いた。席が埋まると、おじいさんは満足気に何事かを叫び、ひとりひとりに話しかけながら給仕をした。ミーコおばさんも含めて、夕餉の席は終止和やかに過ぎていったが、わたしはひとり気もそぞろだった。そこにいる誰もみな、ナーバスになったり攻撃的な空気を出したりはしないが、どう見てもみんながおじいさんの愛人のようだった。わたしは緊張のあまり食事もろくに喉を通らないかと思ったが、キノコのサラダに始まり、ピッツァにスープにと、出されるものみんなが初めてのこれまた衝撃的な美味しさで、ドルチェにたどり着く頃にはすっかり緊張もほどけていた。食後のコーヒーを飲み終えると、ミーコおばさんとわたしを除く女性たちはまたにこやかに帰っていった。満腹感と疲れとで一気に眠気が訪れて、わたしはさっきまでの緊張感や幾許かの疑問も置き去りにして、自分の部屋へと引き取った。
わたしに与えられた部屋は塔の3階にあって、窓からは遠い町並みと空が見えた。カーテンを閉めようとしてハッとした。この夜の色、それはミーコおばさんから送られてきたキャンバスを埋め尽くす青色だった。ベッドに入るも体が火照ってなかなか寝付けなかった。ミーコおばさんがわたしに伝えたかったこと、それはこの夜の色だ。そこにある気持ちを理解するにはわたしはまだ子供過ぎる。そうだろうか。子供にだってわかる、その絵がかなしみに溢れていることは。

翌朝遅めに目を覚ますと、空はもうすでに悲しみの陰すら見せずに碧々と晴れ渡っていた。ミーコおばさんとおじいさんは相変わらずラブラブで、肩を組んで身を寄せ合いながら庭を散歩していた。わたしが上から見ているのに気づくと手を振って、降りてらっしゃいと声がかかった。庭の東屋で遅めの朝食を取った。おじいさんの育てた野菜のサラダと豆のスープ、オリーブオイルで捏ねたパンとコーヒーはこれまたみんな美味しかった。ミーコおばさんとおじいさんとは親子ほど歳が離れているが、こうして膝の上に乗っかったりパンを食べさせたりしてはしゃいでいるのを見ていると、歳の差なんて感じないしなんだか二人とも子供のように見える。食後には二人で庭や離れを案内してくれた。おじいさんは地元では「星おじさん」と呼ばれるちょっと変わったアーティストで、この家を作り、庭で野菜を育てながら陶芸をしたりガラスを吹いたりしている。その作品のほとんどに星がちりばめられているのだ。この人はアーティストだから触るものがみんな作品になっちゃうの、とミーコおばさんは嬉しそうに言う。美味しいご飯もほとんどおじいさんが作る。わたしはこれだけ、と言って見せてくれたミーコおばさんのアトリエには沢山のキャンバスが並んでいた。どれも鮮やかなブルーや、朝焼け前の空のようなピンク、パープル、ゴールド、と華やかに塗込められていた。おじいさんは改めてその絵を眺めてから感慨深く何事かをつぶやき、ミーコおばさんを抱きしめて「ステッラ・・・」と繰り返し声を上げる。後で「ステルラ」とは星のことで、女性の美しさや素晴らしいものを褒める時にも使う言葉だと聞いた。おじいさんは初対面の女性と会う時にほぼ確実にこの言葉を叫ぶらしい。ミーコおばさんにはいつでも。

この家に滞在した数週間で、わたしは美味しいコーヒーの淹れ方と、絵の具や絵筆の使い方を覚えた。
衝撃的な夕餉の席は初日だけだったし、ミーコおばさんと星おじさん(わたしもそう呼ぶようになっていた)は始終仲睦まじく、悲しみの色は夜の空に溶けてしまったかのようにそこには存在しなかった。すべては明るく輝いていた。
帰りの空港でわたしを見送った時にも、ミーコおばさんの顔には陰ひとつなく、またいらっしゃい、と抱きしめたらすぐに突き放そうとするものだから、わたしは思わず「大丈夫?」と聞いていた。ミーコおばさんは、何が?と言うように眉を上げ「大丈夫よ」と口にした。「だってあの絵・・・」と続けそうになるわたしを手で遮って笑顔で「あんたも絵を描きなさい」とだけ言うと、クルッとこちらに背を向け去っていった。

衝撃つづきの海外旅行を経て日本に帰ると、夏休みはまだ終わっていなかったが、わたしはそのまま何をするということもなく家に居た。「わたしってお母さんの子供だよねえ」まさかとは思いつつ一応母に確認をした。何バカ言ってんの、と一蹴されてホッとした。初めての彼からは何度か連絡があったが、何故だか会う気になれず、適当に返事をしていたらその内に連絡がなくなった。新学期が始まり、わたしも夏ボケから醒め始めた頃、彼が別の女の子と手をつないで歩いているのを目撃した。一瞬胸は痛んだが、悲しくはなかった。その後、俄然勉強がはかどるようになった。大の苦手だった数学も少しずつ理解できるようになり、それに伴って他の科目の理解も進んだ。同じ学校にまた彼氏と呼べる存在が出来た。一緒の大学に進もうと励まし合った。わたしの成績の伸びに母は驚き、まさかのミーコ効果と言った。父は、俺の血筋だと言って母校への進学を勧めた。そこからおよそ1年半のひたむきな努力が報われて、わたしは父の母校である医療系の大学に進学した。彼と手を取り合って合格を喜んだ。絵筆を取ることはなかった。

あれから10数年が経った。
ミーコおばさんはまた行方不明になっている。
わたしは、ついこないだまでミーコおばさんが住んだ家のリビングで、あの絵と向き合っている。
そこにある気持ちを理解するには、わたしはまだまだ子供なのかもしれない。それでも、もうこの絵に寝苦しさや居心地の悪さを感じることはない。今のわたしにとって、この絵は、そこにある気持ちは、どうにかされるべきなのではなく、ただここにあるということを表わしているように感じる。




by medine | 2015-02-22 02:22 | 小説

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